
塩券とビットコイン、権力のゲーム
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塩券とビットコイン、権力のゲーム
国家と市場の駆け引きは、信用の競争であり、制度の権威である。
執筆:劉紅林
塩池の夏
乾隆42年の夏、運城の塩池はかつての碧色を失い、幾重にもなったまぶしい塩の殻がむき出しになっていた。まるで大地が烈日に焼かれて剥がれ落ちた古皮のようだった。
池畔に立つ曹徳海は塩場の入り口から、職人たちが一籠ずつ塩を担いで倉庫へ入れる様子を見つめながら、心の中はあの池のように乾いていた。明日は河東塩運司が塩課(塩税)の納付を督促しに来る日だ。その半尺ほどの長さの塩票がなければ、どれほど塩を積んでもそれは禁制品にすぎず、関所を出ることもできなければ、運城の外へ運び出すこともできない。
塩池の世界では、塩票こそが通行証であり、富への鍵であり、同時に官府の枷でもあった。黄麻紙で作られた塩票には、「河東塩運司」という朱印が押され、裏面には商号、枚数、課銀額が記されている。見た目は軽やかだが、塩商人にとっては一年の命運を左右するものだった。
史料によれば、運城塩池の年間生産量は500万担近くに達し、全国総生産の10分の1を占めていたという。河東塩課は山西省財政の3割を支えていた(『清代塩政史料彙編』巻五)。この塩池の塩は、庶民の食卓の調味料であると同時に、政府の軍資金であり、王朝の命脈でもあったのだ。
銭穆(チェン・ムー)は『中国文化史導論』の中でこう書いている。「運城塩池はすでに中原諸部族が共に争奪する目標となっていた。」4700年以上前、黄帝が蚩尤を破った後、国都を安邑の塩池近くに移し、池塩の開発利用を始めた。それが中華文明の最初の礎石となった。その後、堯、舜、禹がここに都を築いた。春秋時代には「塩邑」と呼ばれ、戦国時代には「塩氏」、漢代には「司塩城」「塩監城」、元代には「鳳凰城」、明代には「運司城」と呼ばれた。中国で唯一、「塩の運搬」のために設立された都市なのである。

曹徳海は、父が臨終の際に言った言葉を今も覚えている。「お前のやっているのは塩の商売じゃない。塩票の商売だ。塩票がなければ、いくら塩を担いでも、刀を担いでいるのと同じだ。」
塩商人たちの「倒引」
塩票の制度は、明の洪武年間に始まった「開中法」にまで遡ることができる。それ以来、国家は一枚の塩票を通じて塩池の富を手中に収めてきたのである。
塩票は塩の流通を保証する証憑であると同時に、朝廷にとっての塩税の領収書であり、国家財政の生命線でもあった。しかし乾隆年間に入り、両替屋(票号)の台頭や驛路の発展とともに、塩票の性質は静かに変化していく。もはや単なる塩引き換え証ではなく、商人たちが転売する対象となっていったのだ。
塩商人たちは新しい商売を覚えた。塩票を手に入れてもすぐに塩と交換せず、他人に転売して差益を得るのである。「倒引」「拼引」「転売」——茶館や酒楼で塩票は次々と取引され、灰色地帯を漂う「金融証券」へと姿を変えた。
『清代塩政史料彙編』にはこう記録されている。「票商の倒引の風潮はますます根深くなり、ついには銀票と塩票の交換さえ行われ、官の課銀が度々流失した。」塩票とは本来、官府が塩池を統制するための道具であったはずなのに、市場のすき間に芽吹き、枝を伸ばしていったのである。乾隆37年、運城塩池で大規模な倒引事件が発生し、塩運司の役人もまた巻き込まれた。奏折にはこうある。「倒引一件、数十人の官吏を累ね、数百人の商人を巻き込み、塩課は途絶え、国庫は空になった。」(『清代塩政档案輯録』巻三十二)
だが、官府の勘定は決して止まらなかった。
倒引は市場を混乱させたが、同時に地方財政の潤滑剤ともなった。倒引取引における「手数料」や役人の取り分は、地方の塩課における隠れた収入源となったのである。河東塩運使は乾隆42年の奏折でこう述べている。「倒引は確かに弊害ではあるが、課銀の徴収にはまだ役立っている。厳しく禁止すれば逆に流れが断たれ、塩引そのものの機能が維持できなくなる恐れがある。」
こうして国家と市場は、塩票の赤印の下で繰り返し駆け引きをしていく。国家は塩票によって軍資金を確保し、官僚体制を維持する。一方、塩商人は倒引や拼引によって、赤い紙片を銀の流れに変えていく。塩票の信用は結局のところ、官府の筆と塩務警察の威圧力に依存している。しかし、市場の力は常にその威圧のすき間を縫って、絶えず動き続けるのである。
塩票の狭間に挟まれて働く運び人や両替屋たちは、おそらく最もこの道理を知っているだろう。この世には、純粋な自由も、絶対的な禁令もないのだ。
収編された暗号通貨
ある人々は言う。暗号通貨は非中央集権的であり、国家による通貨発行権に対する究極の挑戦だと。アルゴリズムによる合意、分散型台帳、匿名ウォレット——これらはまるで富が初めて国家の枷から解き放たれ、塩池の風のように自由に流れるかのようだ。
しかし、塩池の歴史はすでに答えを示している。倒引は独占販売を乱す病とされたが、官の帳簿の上では潤滑剤へと変貌した。塩票の赤印は禁令であると同時に、許可でもあった。非中央集権という理想の背後には、常に国家の手と影が付きまとうのである。
人々は暗号通貨が国家通貨発行権への究極の挑戦だと考えたが、業界が今日まで進むにつれ、「規制との共存」が主旋律となった。KYC(顧客確認)、AML(マネーロンダリング防止)、取引所のコンプライアンス、税務の透明化——これらの言葉は風に舞う塩の粉のように、「非中央集権」という四文字の上に、次第に覆いかぶさっていく。
国家の勘定は、いつでも自由の理想を制度の版図の中に組み込むことができる。
2025年、ビットコインカンファレンスにて、アメリカ副大統領バンスは率直に語った。「ビットコインは悪政策に対抗するツールだ。政党を問わず。」「中国政府はビットコインを好まない……ならば中国がビットコインから距離を置くなら、アメリカこそビットコインに向かうべきだ。」「我々は国家ビットコイン準備基金を設立し、ビットコインを米国の戦略的ツールとする。」「ドルに連動するステーブルコインはドルを弱体化させるどころか、アメリカ経済力の倍増器となる。」
かつて塩票が塩池の流通を国家の赤印と筆によって支配したように、今日の規制当局はコンプライアンスライセンスとブロックチェーン上の監視技術を用いて、富の流れをデジタルの指先に収める。国家は紙幣の独占を失ったかもしれないが、法律、ライセンス、オンチェーン監視によって、見えない新たな壁を再構築するのである。規制の手はすべてのウォレットアドレスにまで及んでおり、ブロックチェーンデータの公開性と透明性は、逆に国家の新たな武器となっている。
国家の手は、富の手綱を本気で離したことは一度もないのだ。
権力のゲーム
塩池の物語は遠ざかり、塩票は史書の中の黄ばんだページとなった。しかし、その一枚一枚の黄麻紙には、今もなお国家と市場が共謀した痕跡が残っている。富の流通とは、決して単なる商品交換ではない。それは国家と市場の駆け引きであり、信用の競合であり、制度の権杖なのだ。
塩票の信用は、結局のところ官府の威厳に依拠していた。暗号通貨の信用は一見非中央集権的だが、実際には国家法規の影の下を歩んでいる。規制の許可がなく、税務の道筋がなければ、暗号通貨のノードがどれほど増えようとも、ただグレーゾーンとホワイトゾーンの間を漂うだけだ。
運城の塩池のほとりに立ち、幾重にも風乾した塩の霜を見つめながら、私は富の本質を見るような気がする。半分は市場の欲望、半分は制度の枷。塩票も、紙幣も、ビットコインも、その形は変わっても、権力の本質は依然として変わらないのだ。
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