
なぜ米証券取引委員会(SEC)のNFTに対する見解は誤っているのか?
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なぜ米証券取引委員会(SEC)のNFTに対する見解は誤っているのか?
NFTに対する規制当局のあいまいな管理は、法の過剰執行という問題をさらに悪化させ、かえって法治を弱体化させている。
執筆:Edward Lee
翻訳:比推 BitpushNews Scott Liu
2024年に出版された『Over Ruled』という書籍で、最高裁判所のネル・ゴファス判事とジャニ―・ナイトは、連邦法の急速な拡大を詳細に記録している。この拡大は議会による立法や裁判所の判決だけでなく、連邦機関がさまざまな規則、規制、非公式な公的ガイドライン、さらには執行活動を通じて法律的拘束力を持つルールを広げてきたことに起因する。連邦法の規模は当初1巻だったものが、現在では54巻にまで増え、6万ページを超えている。1936年には連邦機関の規則はわずか16ページだったが、現在では200巻以上、18万8千ページに達している。これらの規則の中には、30万を超える刑事罰を含む条項がある可能性もある。さらに懸念されるのは、連邦機関が単に法的拘束力のある規則を制定・執行するだけでなく、検察官や裁判官としての役割まで担っている場合があることだ。

こうした法律・規制の拡大は現代社会の複雑性を反映しているかもしれないが、同書が指摘するように、個人レベルでの連邦法の過剰執行につながっており、本来の法の趣旨を越えている。特に法律が脆弱または誤った解釈に基づいて過剰に執行されるとき、法治主義そのものが損なわれる。
残念ながら、SEC(米証券取引委員会)によるノンファンジブル・トークン(NFT)へのあいまいな対応は、まさにこうした問題の新たな例である。規制当局によるNFTへの曖昧な取り扱いは、法の過剰執行を助長し、逆に法治主義を弱体化させている。
2021年、デジタルアート市場は大きく成長した。NFTはアーティストたちが作品を販売し、転売時のロイヤリティを通じて経済的な保障を得るための革新的な手段となった。しかし、NFT市場が2021年に270億ドルもの売上を記録したにもかかわらず、SECはNFTが有価証券に該当するかどうかについて明確なガイダンスを発表しておらず、トップレベルの法律事務所ですら明確な答えを持っていなかった。
ところが2023年に入ると、NFT市場が低迷期を迎えた頃、SECは新たなリスクを加えた。つまり、「SECに訴えられる可能性」である。SECは2つのNFTプロジェクトに対して和解を発表し、それらのNFTは投資契約であり登録されていない有価証券であると主張した。これらの和解は法的先例を設けるものではなく、関係企業も不正行為を認めてはいないが、SECは両プロジェクトに対しNFTの破棄を求めた。結果、両プロジェクトとも存続できなくなった。またGameStopのような他の企業も「規制の不確実性」を理由にNFTプロジェクトを中止している。
8月末、SECは再び動き出した。OpenSeaがWells通知を受け取ったことを明らかにしたのだ。これはSECが企業に対して法的措置を取る可能性があることを示すものであり、販売されているNFTが未登録の有価証券であると告発する内容だった。Wells通知が必ずしも提訴に結びつくわけではないが、通常はその後にさらなる法的行動が続く前兆となる。

この知らせはNFTアーティストや企業にとって不安を煽るものだった。SNS上では、実際に刑罰を受ける可能性についてまで議論されていた。このような恐れが現実的根拠を持つかどうかは別として、市場のパニックは確かに存在する。SECがNFTプロジェクトや企業に対して選択的に執行措置を講じながら、NFTに関する規則や公共ガイダンスを一切発表していないことは、NFT市場全体の不確実性を高めている。この不確実性はアーティストたちがNFT制作を控える原因となり、NFT関連ビジネスの芽を摘み取ることになるだろう。
しかしSECのやり方は、単なる規制の不確実性以上の問題を引き起こしている。それは違憲である可能性すらある。私が間もなく発表予定の『U.C. Davis Law Review』の論文で詳述するように、アーティストが一般にNFTを提供する前に有価証券登録を行うよう要求することは、憲法修正第1条におけるアーティストの権利に対する「事前統制(事前検閲)」であり、違憲である。最高裁はかつて、「言論の事前統制」、つまり発表前の許可や登録要件は、修正第1条の権利を侵害する「最も深刻で最も容認できない侵害」であると述べている。事前統制は検閲を隠蔽し、発言を抑圧する可能性がある。たとえアーティストの作品の公開が遅れるだけでも、修正第1条の観点からは問題となる。言論の遅延は、言論の剥奪に等しい。
アーティストがNFTを販売する前に証券法専門の弁護士を雇わなければならない、あるいはSECに訴えられるリスクを背負うべきではない。このような事前統制の制度は社会にとって有害である。最高裁が選挙関連の案件で述べたように、「多くの人々は、自分の権利を守るために個別の訴訟という巨大な負担(時にはリスク)を負うよりも、保護された言論を放棄するほうを選ぶだろう。これにより彼ら自身だけでなく、自由な思想市場を失う社会全体も傷つくのである」。
この違憲状態を解決する方法は簡単である。SECおよび裁判所は、1933年の『証券法』の本来の意味、すなわち法律文書の実際の意味に戻るべきだ。最高裁は最近、1934年の『国家銃器法』を解釈する際にまさにそうした。1933年当時、「投資契約」という語の本来の意味とは、投資者が資金を支払い、発行者の利益の分配を受けるという特定の種類の投資を指していた。1946年に最高裁が『SEC 対 W.J. Howey Co.』事件で「投資契約」を解釈した際、裁判所は1920年に州最高裁が認めたこの用語の一般的な意味を明確に支持した。Howey事件を含め、最高裁が投資契約と判断したすべてのケースは、こうした利益分配の契約的権利、すなわち「利益の約束」を伴っていた。
もちろん、投資が「投資契約」と呼ばれない限り投資ではない、というわけではない。『証券法』はあらゆる勧誘に対して適用されるため、契約の存在自体が本質ではない。しかし、「投資契約」と分類されるためには、その勧誘が発行者の利益分配に関する契約上の権利を含んでいなければならない。そのような利益分配の権利がない限り、その勧誘は投資とは言えても、「契約的投資」とは言えない。
SECや裁判所が『証券法』から「契約」という語を無視し続けることはできない。「契約」という語が存在するのは、投資契約を美術品やコレクターズアイテムの購入といった他の投資形態と区別するためである。エルメスが投資家にバーキンバッグの購入を許可すれば、投資家はエルメスがその希少性と価値を維持しようとする努力によって利益を得られると合理的に期待できるだろう。しかし、このような利益の期待がバーキンバッグを「投資契約」に変えるわけではない。NFTも同じである。バーキンバッグであろうとアートNFTであろうと、コレクターズアイテムの購入は「投資契約」と本質的に異なる。後者に存在する利益の契約的権利が、前者には欠けているのだ。
もし『証券法』における「契約」という語の重要性が今後も無視され続けるならば、最高裁判所が介入せざるを得なくなるだろう。法治主義は、私たちが行動を起こすことを要求している。
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