
オープンソースソフトウェアとデジタル共通地
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オープンソースソフトウェアとデジタル共通地
本稿は、FLOSS開発者コミュニティと営利企業の間の関係性のダイナミクスを深く掘り下げます。
執筆:Birkinbine、Benjamin
編集・翻訳:Tiao,LXDAO
翻訳者前書き:
偶然この本を目にした。その後、Trent Van Eppsがプロトコルギルド(Protocol Guild)について語る動画の中で、彼もまたこの本に言及しており、そのフレームワークを用いてプロトコルギルドの活動を説明しているのを知った。それならば、読む価値があるに違いない。どうか有意義な読書体験となりますように。
本稿は『Incorporating the Digital Commons: Corporate Involvement in Free and Open Source Software』の第1章の冒頭2節である。
2012年3月、Linux財団は「Linuxカーネル開発:そのスピード、貢献者、作業内容、および資金提供者(Linux Kernel Development: How Fast it is Going, Who is Doing It, What They are Doing, and Who is Sponsoring It)」と題する報告書を発表した。カーネル(Kernel)とは、コンピュータのハードウェアとソフトウェア間の通信を促進するオペレーティングシステムの中核的な部分であり、Linuxカーネル開発プロジェクトは「史上最大規模の協働ソフトウェアプロジェクトの一つ」と見なされている(Linux財団、2012:1)。技術的な変遷に関する概観に加えて、報告書は特に興味深い点を強調している:マイクロソフトがカーネルの上位20貢献者の一人であったことだ。これはマイクロソフトが初めてトップレベルの貢献者として登場した瞬間だが、上位20人のうち企業として唯一というわけではない(注:訳文ではCorporateとCompanyの区別をつけていないため、「会社」「企業」混在)。他の企業貢献者にはインテル、IBM、グーグル、テキサス・インスツルメンツ、シスコ、HP、サムスンなどが含まれる。Linuxオペレーティングシステムは、誰でも自由に学び、使用し、複製し、改変し、配布できるフリーソフトウェアおよびオープンソースソフトウェア(Free (Libre) and Open Source Software, FLOSS)である。ではなぜ大手企業は、自社の利益に直接寄与しないと思われるFLOSSプロジェクトに直接貢献するのか?さらに多くのカーネル貢献企業がIT市場で互いに競合しているだけでなく、マイクロソフトやグーグルのような企業は、OS市場においてLinuxと直接競争している事実を考えると、この問いはより一層興味深いものとなる。
実際、マイクロソフトのCOOスティーブ・ボールマーはかつてLinuxをこう表現していた。「知的財産権の観点から言えば、それは触れられたすべてのものに付着する癌だ」(Greene、2001)。ボールマーが指していたのはGNU一般公衆利用許諾契約書(GNU General Public License, GNU GPL)であり、これは最も広く使われているフリーソフトウェアライセンスである。GPLで保護されたソフトウェアに対しては、ユーザーは学習、使用、複製、改変、再配布の権利を持ち、改変版を有料で配布することさえ可能だが、その際にGPLが保証する権利を制限してはならない。GPLは企業によるソフトウェアの改変や有料化を禁止していないが、企業はそのエンドユーザーに対しても同じ自由を保障しなければならない。ボールマーの発言は、フリーソフトウェアと商業ソフトウェア企業が対立関係にあることを示唆している。もしそうなら、マイクロソフトをはじめとする商業ソフトウェア企業には、世界最大のオープンソースプロジェクトの一つに貢献する動機などないはずだ。
さらに注目すべきは、ボールマーがLinuxに対するこのような批判を表明したのが2001年6月1日だったことだ。わずか27日後の2001年6月28日、米司法省はマイクロソフトがシェルマン反トラスト法に違反する独占行為を行ったとして有罪判決を下した。主な理由は、同社がインターネットブラウザInternet ExplorerをWindows OSにバンドルすることで、ブラウザ市場でのシェアを急速に拡大したためである。しかし2001年以降、マイクロソフトのLinuxおよびオープンソースに対する姿勢は顕著に変化し、2012年にLinuxカーネル上位20貢献者に選ばれたことはその証左である。同年、マイクロソフトは非マイクロソフト技術との相互運用性を推進し、オープン標準やオープンソースを支援するために、子会社「マイクロソフト・オープンテクノロジーズ社(Microsoft Open Technologies, Inc.)」を設立した。この12年間に、マイクロソフトは一体どのような変化を遂げ、FLOSSとの関係をこれほどまでに根本的に再構築したのか?
マイクロソフトだけではない。実際、2007〜2008年頃から、企業によるFLOSSプロジェクトへの参加は増加の一途をたどっている。表1.1は、2017年にLinuxカーネル4.8〜4.13バージョンにコード貢献した企業を示している。当時のカーネル開発年報によれば、合計225社がこのプロジェクトに貢献していた。Linuxカーネルは企業がFLOSSに貢献する一例にすぎないが、他にも同様のケースが多数存在する。ここに問題が浮上する。なぜこれらの企業はFLOSSプロジェクトに貢献するのか?どのように貢献しているのか?FLOSS開発者コミュニティは企業の介入をどう調整しているのか?企業による不適切な影響や干渉に対して、FLOSSコミュニティはどのような対応策を持っているのか?

表1.1 Linuxカーネルへの貢献上位企業
1.1 本書の主張と構成
本書の目的は、FLOSSコミュニティと営利企業の間にある一見矛盾する関係を検討することである。私は批判的政治経済学の視座から、FLOSS開発者コミュニティと、FLOSSプロジェクトを支援したり、FLOSS労働の成果を占有(Appropriate)する企業との間の力関係を探る。確かにFLOSSの製品および生産プロセスは、ユーザーと貢献者にさらなる自由と自律をもたらす革命的な変化として広く称賛されてきた(Benkler, 2006; Raymond, 2000; Stallman, 2002)。私の研究は、こうした主張にバランスをもたらすことで議論に参入するものだ。私は技術を社会的闘争の場と位置づけ、共有地に基づくピアプロダクション(Peer Production)をより広範な社会的文脈に置き、それが資本主義的生産とどのように相互作用するかを明らかにする。そのために、FLOSSおよび共有地に基づくピアプロダクションによってもたらされたとされる「革命的変化」が、いかに企業戦略および企業構造に組み込まれていくかを示す。
ここでの中核的な主張は、フリーオープンソースソフトウェア(FLOSS)が資本と共有地の間で弁証法的に位置しているということだ。一方では、プログラマーたちが他人がアクセス、使用、改変可能なソフトウェアを作ることを目指し、それがデジタル共有地となる。この反復的なソフトウェア開発により、ソフトウェア生産の速度と規模は飛躍的に向上する。これは好循環であり、ソフトウェア開発者共同体が積極的にコミュニティに貢献し、コミュニティがFLOSSプロジェクトに対して集団的所有権を主張する状況を意味する。この意味で、FLOSSプログラマーは共有者(Commoners)と呼べるだろう。彼らは常に共有地に基づくソフトウェアプロジェクトの再生産と持続可能性を確保しようとしているからだ。他方、資本はFLOSSコミュニティが生み出す価値の捕獲を試みる。これには、FLOSSの生産プロセス(つまり集団的労働、または共有地に基づくピア生産力)の活用と、製品(特定のFLOSSプロジェクト)の商品化が含まれる。後者は、FLOSSコミュニティ内で共同開発されたソフトウェアの商業的利用の基盤を提供する。
これは、フリーソフトウェアの共有者と資本主義企業の目標が常に相反するということではない。研究では、FLOSSプロジェクトの商業的スポンサーシップが、開発者の獲得を容易にし、プロジェクトの長期的存続を確かなものにする傾向があることが示されている(Santos, Kuk, Kon, and Pearson, 2013)。しかし、資本がデジタル共有地といった共有資源に対して望ましくない形で侵入する場合、関係が破綻する事例もある。こうした場合、FLOSSコミュニティの利益とスポンサーの利益が衝突し、双方の関係は対立的になる。FLOSSコミュニティが直面する課題は、単にデジタル共有地の活性を維持するだけでなく、当初のプロジェクトの成功を支えたコミュニティ意識を守り抜くことにある。
では、デジタル共有地と資本による予期せぬ侵入との関係を、いかに交渉すればよいのか?考慮すべき要素は多岐にわたり、続く各章では、こうした力学がどのように現れるかを示す実証的証拠を提示する。
一般的に、共有地(Commons)、より具体的にはデジタル共有地(Digital Commons)とは、資本主義内部に出現した別の価値体系と理解できる。時に、共有地の価値循環は資本蓄積の循環と交差する。したがって、フリーソフトウェアと資本の関係を弁証法的に理解することは、異なる論理で動く二つの力の矛盾を解釈するのに役立つ。第2章では、資本主義、デジタル労働、共有地理論を援用し、これらの違いをより具体的に概観する。ここでの私の目的は、資本主義批判を共有地理論に取り込むことで、デジタル共有地の批判理論を展開することにある。
第3〜5章では、FLOSSコミュニティと企業のダイナミクスをさまざまな側面から示す三つの詳細な事例研究を行う。私は企業のFLOSS参加に関する議論を、「プロセス(Processes)」「製品(Products)」「政治(Politics)」の三つのテーマ領域に分け、それぞれの事例研究がその代表例となっている。これら三つの事例研究を総合すると、企業がFLOSSプロジェクトに参加する一般的な傾向が見えてくる。さらに、各事例研究はこうしたダイナミクスの複雑さに対する微細な理解を提供し、関係に内在する矛盾を詳細に読み解くことを可能にする。
まず、第3章ではマイクロソフト社とFLOSSの複雑な関係に焦点を当てる。この関係は、FLOSSの生産プロセスが産業的ソフトウェア生産の新しい時代を開いたことを示している。他の企業もFLOSSコミュニティとの協力を示しているが、1980〜90年代のパーソナルコンピューティング市場におけるマイクロソフトの支配的地位ゆえに、ソフトウェア生産が時間とともにどのように変化してきたかを理解する上で、マイクロソフトは重要な事例となる。ここでの主要な歴史的出来事は、マイクロソフトに対する反トラスト判決であり、それは一社がソフトウェア生産を独占し、他社にコードへのアクセスを拒んできた時代の終焉を告げるものだった。実際、マイクロソフトの反トラスト判決の和解条項(Consent Decrees)の一つは、アプリケーションプログラミングインターフェース(Application Programming Interfaces, API)への第三者アクセスを認めることだった。これは、独占的なビジネス慣行で台頭したマイクロソフトの初期のやり方とは正反対である。
1990年代、マイクロソフトがソフトウェア市場を支配し、最終的に反トラスト法違反で有罪判決を受けた時期、他のソフトウェア企業もFLOSS製品を商業的に成功させる方法を模索していた。第4章では、レッドハット社(Red Hat, Inc.)を分析し、FLOSS製品がいかに商業企業の全体的なビジネス戦略に取り込まれるかを明らかにする。レッドハットは、完全にフリーソフトウェアに基づくソフトウェアとサービスを提供する唯一の上場企業であり続けている。そのため、レッドハットは従来の著作権保護に頼らず、他者が自社ソフトウェアのソースコードを使用することを防げない。そこで私は、レッドハットの分析を通じて、フリーソフトウェアの上に収益性のあるビジネスをいかに構築するかを探求する。
最後に、第5章の第三の事例研究では、FLOSSコミュニティが企業によるプロジェクトへの望ましくない影響にどう対処するかを扱う。サン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems)はかつてFLOSSプロジェクトの重要なスポンサーだったが、後にオラクル社(Oracle Corporation)に買収され、そのプロジェクトに異なる計画が持ち込まれた。この章では、OpenSolaris OS、MySQLリレーショナルデータベース管理システム、OpenOfficeオフィスソフトの三つのプロジェクトの運命の違い、およびこれらのプロジェクトに参加するコミュニティが、オラクルによるプロジェクト侵食にどう抵抗したかに焦点を当てる。実際、この事例研究はFLOSSコミュニティが企業との境界をどう交渉するかという政治的問題を明らかにするとともに、FLOSSコミュニティがプロジェクトを守るために使える戦略を示している。
この序論の残りの部分では、FLOSSの重要性を理解するための背景情報をさらに提供する。これには、FLOSSを歴史的文脈およびより広範な共有地論議に位置づけること、一般的なソフトウェア開発、そしてFLOSS史におけるいくつかの転換点を含む。これらのセクションでは、本書を通して使用されるいくつかの用語も紹介し、概念の混乱を避ける助けとしたい。次に、FLOSSの文化的意義について述べる。最後に、本研究の方法論を紹介する。FLOSSの歴史と特徴にすでに詳しい読者は、次の章、あるいは本章末尾の方法論に関する記述に直接進んでもよい。
1.2 フリーオープンソースソフトウェアの位置づけ
フリーソフトウェアコミュニティとオープンソースコミュニティは相互に関連しており、ある意味で重なり合う部分もあるが、それぞれ独自の特徴を持っている。そのため、それぞれの運動の根底にある精神に従ってそれらを描写するのが最良の方法である。FLOSSの登場をコンピュータおよびソフトウェア産業の発展という文脈に置くため、以下ではこれらの産業の歴史を簡単に紹介する。続いて、FLOSSに関連する二人の中心人物――リチャード・ストールマン(Richard Stallman)とリーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)――および彼らが生きた歴史的状況に焦点を当てる。彼らはそれぞれ、フリーソフトウェア運動とオープンソース運動を象徴している。
1.2.1 フリーオープンソースソフトウェアの歴史をたどる
機械を使って情報処理や数値計算を行うようになった以前は、それらの作業は人間の手によって行われていた。しかし人間の計算は誤りを伴いやすい。この不確実性を減らすため、1822年にケンブリッジ大学で哲学者兼数学者として働いていたチャールズ・バベッジ(Charles Babbage)は、「表の作成は機械によってのみ正確に行える」と主張した(Gleick, 2011: 95)。これを受けてバベッジは「差分機(Difference Engine)」を提案した。これは機械的な方式で定型的な計算を行うもので、今日私たちが知る現代コンピュータの起源と言えるだろう。その後、バベッジはアイデアを拡張し、プログラム可能で命令を記憶できる新型の機械の設計を始めた。この改良版は「解析機(Analytical Engine)」と呼ばれたが、それでもまだ必要なハードウェアや機構にすぎなかった。しかし、このハードウェアはソフトウェアと組み合わされることで初めて機能する。
ソフトウェアという考えの起源は、オーガスタ・アダ・バイロン・キング、通称アダ・ラブレス(Ada Lovelace)に遡るとされる。1843年、彼女はバベッジの「解析機」が数値計算以外の操作も実行できることを提唱した。二つの事物の差異を抽象化することで、ラブレスは解析機をプログラミングし、記号と意味に基づく演算を実行させることができ、それらの記号と意味を機械が理解できるようにできると考えた。ラブレスは生涯で自分のアイデアが実現されるのを見ることはなかったが、「ソフトウェア」の概念を発展させ、世界初のプログラマーと称されている。
バベッジとラブレスは現代コンピュータおよびソフトウェア思想の先駆者と見なされているが、実際にそのような機械の建造が始まったのは第二次世界大戦中だった。計算機科学および情報理論の発展――例えば、クルト・ゲーデル(Kurt Gödel)の不完全性定理、アラン・チューリング(Alan Turing)の万能チューリングマシン、クロード・シャノン(Claude Shannon)の通信の数学的理論、ノーバート・ウィナー(Norbert Wiener)のサイバネティクス――は、こうした機械の発展に理論的インスピレーションを与えた。第二次世界大戦前後を通じて、現代コンピュータの多くの発展は軍事目的に使われた。有名な例としては、ドイツが秘密情報を暗号化するために使ったエニグマ暗号機(Enigma machine)、そしてイギリスがそれを解読するために使った電気機械式「爆弾(bombe)」がある(Smith, 2011)。1941年、ドイツの電気技師コンラート・ツーゼ(Konrad Zuse)がZ3を製作した。これは最初の電気機械式、プログラム可能、全自動デジタルコンピュータと見なされている(Zuse, 1993)。アメリカ初の同種のコンピュータは、1942年にアイオワ州立大学のジョン・アタナソフ(John Atanasoff)によって開発された(Copeland, 2006)。わずか一年後、イギリス・ブレッチリーパークの暗号解読チームは、政府暗号学校(Government Code and Cypher School)に所属する最初の完全機能を持つ電子デジタルコンピュータを使い始めた。この新機械は「コロッサス(Colossus)」と呼ばれ、戦時中にドイツの通信を解読するために使用された。戦争終結時には、ブレッチリーパークにはドイツ通信解読用の「コロッサス」が10台存在した(Copeland, 2006)。
こうした初期のマイルストーンの後、多くの先駆者たちが戦後に学術機関や民間企業で働き始め、現代コンピュータの発展は加速した。アメリカでは、グレイス・ホッパー(Grace Hopper)が第二次世界大戦中、米海軍予備役「女子ボランティア緊急勤務隊(WAVES)」の一員として、ハーバード大学船舶計算プロジェクト局に配属された。そこで彼女は、1944年にIBMが製造したMark Iコンピュータのプロジェクトに参加した。その後、ホッパーは民間企業で働くようになり、機械非依存のプログラミング言語(machine-independent programming languages)の普及に尽力した。これが1959年の共通ビジネス指向言語(Common Business-Oriented Language, COBOL)開発につながった。また、「デバッグ(debugging)」という言葉の普及もホッパーによるものである。デバッグとは、プログラムから欠陥のあるコードを取り除く作業を指す。ホッパーがこの用語を発明したわけではないかもしれないが、彼女がハーバード大学のMark IIコンピュータで短絡を起こしていた蛾を取り除いたことで、この用語は広く知られるようになった(Deleris, 2006)。
1960年代、マイクロプロセッサの登場は計算コストを大幅に削減した。そのため、アマチュアプログラマーやコンピュータ愛好家たちのコミュニティが、その後の数年間でこの技術の実験を始めた。有名な例として、1975年にカリフォルニア州メンローパークのコミュニティ・コンピュータセンターでゴードン・フレンチ(Gordon French)とフレッド・ムーア(Fred Moore)が設立した「ホームブリュー・コンピュータクラブ(Homebrew Computer Club)」がある。このクラブはアマチュア向けの開放的なフォーラムを提供し、個人用コンピュータの構築に関して部品やアドバイスを交換することを目的としており、コンピュータのより広範な利用を促進した。第3章ではこのアマチュアコミュニティについて詳しく述べる。なぜなら、マイクロソフトの台頭において重要な役割を果たしたからである。こうしたアマチュアコミュニティに加えて、大部分のコンピュータ開発は軍隊、学術機関、民間企業の中で行われていた。
特に有名なのは、1958年に設立された米国防高等研究計画局(DARPA)と、1970年に始まったMIT人工知能研究所の初期開発である。当時のプログラマーはAT&T社が所有する知的財産権を持つ特許プログラミング言語Unixを使用していた。リチャード・ストールマンは1971年からMITで働くプログラマーだった。ストールマンは、公式承認の範囲外でUnixを使うことを試みた際、AT&Tからコードへのアクセスを拒否された。抗議として、彼は1983年にコンピュータ掲示板にメッセージを投稿し、他人が自由に使用できるUnixベースの言語の開発を開始すると宣言した。1985年、ストールマンは「GNU宣言(The GNU Manifesto)」を発表し、新プロジェクトの目標、その開発理由、そして反対する対象を明確にした。このプログラミング言語は「GNU」と名付けられ、「Gnu's Not Unix」の再帰的頭字語である。プログラミング言語に加えて、ストールマンはGNUパブリックライセンス(GNU Public License, GPL)も開発した。GPLでは、誰でもソースコードを無料で入手でき、GPLを使用する人は自身の貢献も同等の可用性を持つことに同意する。これにより、プログラマー同士が自由に作業成果を共有でき、専有的で閉鎖的な製品と対照的な共有地形式の財産が生まれる。
ストールマンは専有ソフトウェア運動の代表的人物となった。彼はソースコードへのアクセスを基本的人権と見なし、他人にもそう信じてほしいと願った。彼は有名な主張でこうまとめている。「自由のための自由(Freedom as in freedom)であって、無料ビール(free beer)のための自由ではない」。これにより、フリーソフトウェアは道徳的権利として位置づけられた(Stallman, 2002)。フリーソフトウェアの定義は、「ユーザーがソフトウェアを実行、複製、配布、研究、変更、改良する自由を持つこと」(Free Software Foundation, 2012)としている。フリーソフトウェアの原則がアメリカ国外へ広がるにつれ、英語の「Free」による混乱を避けるため、フランス語の「libre」を使う試みもあった。ストールマンは専有ソフトウェアに反対する運動を推進するため、フリーソフトウェア財団(Free Software Foundation, FSF)を設立した。彼は情熱的なカウンターカルチャー的人物として、フリーソフトウェアの哲学を今も支持し続けている。
一般に、ストールマンはフリーソフトウェア運動の旗手とされ、オープンソースソフトウェア(Open Source Software)はリーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)と結びつけられることが多い。トーバルズとストールマンの物語は多くの点で似ているが、哲学的には異なる。1980年代、フリーソフトウェアプロジェクトは始まりつつあったが、規模は小さかった。当時、フリーソフトウェアはより広範な協働の方法を見つけ出せてはいなかった。トーバルズはオープンソースのオペレーティングシステムのカーネルを開発したいと考えた。多くの独立したプログラマーに任せるのではなく、彼はプロジェクトのソースコードを公開し、「Linux」と名付けた。これは彼の名前「Linus」と、彼が使用していたプログラミング言語Minix(AT&TのUnixから派生した簡易版)を組み合わせたものである。トーバルズは、このプロジェクトに興味を持つ誰もが貢献できるよう呼びかけ、自身の作業をコミュニティに公開すれば、他の人がカーネルの完成に向けて段階的に作業を進められるようにした。このプロジェクトは成功を収め、最終的にオープンソースOS「Linux」の誕生につながった。コードを書いている人々が、どんなに小さな変更でもその成果を公開することで、この大規模なプログラミングプロジェクトは調整された。こうした協働の理由は、冗長な作業を減らすことにある。エリック・レイモンド(Eric Raymond)が「リーナスの法則(Linus’s Law)」と呼んだ格言がある。「万人の目の下では、あらゆるバグは浅くなる」(Raymond, 2000)。
フリーソフトウェアと専有ソフトウェアの関係について、ストールマンとトーバルズの見解は異なる。専有ソフトウェアに反対する姿勢において、ストールマンは対抗的だが、トーバルズはそれほど強くない。Williams(2002)は1996年の会議での決定的瞬間を描いている。ストールマンとトーバルズがパネルディスカッションに共に登場したとき、トーバルズはマイクロソフトの仕事に敬意を示し、フリーソフトウェア擁護者が企業と協力できると述べた。この提案は通常タブー視されていた。なぜなら、ストールマンはプログラマー界隈で尊敬されており、フリーソフトウェア財団は専有ソフトウェア企業に対して非常に強硬な立場を取っていたからだ。Powell(2012)はフリーソフトウェアとオープンソースの違いを同様に述べている。
「オープンソースソフトウェアは、フリーソフトウェア開発文化を基盤とする産業プロセスとして発展したが、知識共有地の価値を守り育てるという政治的関心からは離れ、むしろオープンソースソフトウェアの生産プロセスの効率性に重点を置いた」(692)。
したがって、1996年の会議でのこの瞬間は転換点となった。トーバルズがよりリベラル(liberal)なフリーソフトウェアの代表となり、フリーソフトウェア運動の過激さが少し緩んだのである。ここでいう「liberal」は文字通りの意味であり、特定の政治的立場を指すのではない。これは新たな見解や行動に対して開かれた態度を持ち、伝統的価値観を捨てることへの意欲を意味する。この視点から、リーナスがマイクロソフトの仕事に賛意を示したことは、最高のソフトウェアを作るためにマイクロソフト(あるいは他の商業企業)と協力することへの意志を示しており、ストールマンやフリーソフトウェア財団の反企業的立場を堅持していない。
要するに、私たちは異なる哲学的立場に基づいてフリーソフトウェア運動とオープンソース運動を理解できる。ストールマンやフリーソフトウェア擁護者は、専有ソフトウェアに反対する道徳的主張を提起する傾向があるが、トーバルズやオープンソース支持者はよりリベラルで包括的な立場を取る傾向がある。ただし、ストールマンとトーバルズを互いに排他的なコミュニティの代表者と見なすことも、彼らが全体のフリーオープンソースコミュニティを代表していると見なすことも避けるべきである。フリーオープンソースコミュニティの特徴は、全体としてソフトウェアがユーザーに自由に研究、改変、適応、カスタマイズ可能であることに一致している一方で、メンバーはしばしば自分好みのFLOSSプロジェクトを熱烈に擁護し、他のプロジェクトを馬鹿にすることもある。ある意味で、これは彼らの忠誠心を示し、より大きなFLOSSコミュニティ内のニッチコミュニティ内でより緊密なつながりを築く手段でもある。本研究はこうした内部の亀裂にはあまり関心がない。むしろ、こうしたグループとその労働を利用する企業との関係に注目している。そのため、私は「フリーオープンソースソフトウェア(Free (Libre) and Open Source Software)」または「FLOSS」という用語を用いて、コミュニティ全体を指す。
1.2.2 フリーオープンソースソフトウェア:無声にして遍在
1980〜90年代から、FLOSSは効率的かつ効果的なソフトウェア生産方法として証明されてきた。私たちが気づいていなくても、日常のコンピューティング活動の多くはFLOSSに依存しており、それはインターネットの稼働に不可欠なインフラを提供している。本章の導入部で触れたLinuxカーネルを例に取れば、FLOSSプロジェクトの規模と範囲の一端が窺える。1991年に初公開されたLinuxカーネルは約1万行のコードだった。2017年9月にリリースされたLinuxカーネル4.13は、ほぼ2500万行のコードを有し、約1700人の開発者と225社が共同で開発した(Corbet and Kroah-Hartman, 2017: 11)。さらに、Linuxオペレーティングシステムは広く使用されている。例えば、スーパーコンピュータのOS市場では、Linux(またはLinux由来のOS)が100%のシェアを占めている(Top500.org, 2018a)。世界で最も強力なコンピュータはすべてLinuxまたはLinuxベースのOSに依存している。これには、田納西州オークリッジ国立研究所(Oak Ridge National Laboratory)にある米エネルギー省のスーパーコンピュータが含まれる。本書執筆時点では、この研究所が世界で最も高速で強力なスーパーコンピュータを保有している(Top500.org, 2018b)。Linuxは個人用デスクトップ市場ではまだシェアが小さいが、さまざまな用途にカスタマイズされ、利用されている。
アメリカでは、Linuxは高度な軍事作戦にも使われている。例えば、米海軍は35億ドルを投じて建造された駆逐艦「ザムウォルト(USS Zumwalt)」を、「世界で最も技術的に進んだ水上艦艇」と称しており、これは武装したフローティングデータセンターとして機能する。艦内には各種Linuxディストリビューションを搭載したサーバーハードウェアが配置され、600万行以上のコードが動作している(Mizokami, 2017;Gallagher, 2013)。さらに、NASA宇宙運用計算マネージャーのキース・チュバラ氏によれば、国際宇宙ステーションはWindows OSからDebian Linuxに移行した。理由は「……安定的で信頼できるOSを手に入れ、内部で制御できるようにするため」だった(Bridgewater, 2013)。
実際、Linuxおよびその派生物は、本章冒頭で簡単に触れたように、いくつかの著名なテック企業にとっても重要な構成要素となっている。以降の章では少数の企業にしか深く言及しないが、企業とFLOSSコミュニティの異なるダイナミクスを示す他の興味深い事例も存在する。ここでは、Linuxの遍在性を強調するために、いくつかの著名な事例に触れておく。例えば、グー
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